理由を作ってあげる

人生の最後の日々に誰しも思うことは

「ああ、あの時、思い切ってやればよかったあ」

という感想だそうです。

誰しも、心の底では、思うがままにおもいきりやりたい!と思っている。

一つ一つ、そう出来たなら幸せです。

ならば、その人がおもいきり出来るがための、理由とか環境を作ってあげるってことは

究極の優しさ、なのかも知れません。

キャッチャーなら、ピッチャーが投げる球を、どうであれ全部受け止める態勢を作ってあげること。

人の親なら、いつか子供が、思い切り親孝行したくなるよう、子供の身になって今一生懸命育てる。

人間は誰かのためにやることで、自己が幸せになれるHappyな生き物です。

やってあげたいけど、やる理由がない……となってしまうなら悲しいめぐり合わせです。不幸の種です。

相手と自分がそうならないよう、常に働きかけていくのが、良い循環の基本なのではないかな。

これは、偉そうな悟りでもなんでもありません。

自分に言い聞かせているのです。

表と裏

すべての事柄に表と裏があると思うのですが

お葬式になると、隠しきれず出てしまう。

世の中に蔓延する葬儀社のCMなんて、きれいごとばかりで

いやになります。

あたかも、素晴らしい人物ばかりがお亡くなりかのようなストーリー。

CMだから仕方ないけれど、でも皆様に言いたいのは

そのような感動のお葬式ばかりではない、ということです。

昔やった人のケースで

お亡くなりになった日の前日、激しい親子喧嘩をしたそうです。

娘は母に「くた〇〇!クソ〇〇ア!」と言ったそうです。

そしたらあくる日は母は亡くなった。

そして、こちらに来ました。

別なケースでは、お電話での依頼で、お運びしてから打合せ。

そしたら

「すみません、出せるお金いま無いですがお願いします」

とのこと。絶句しましたが、方策を考え無事に済ませました。

 

そんなわけで、なにが言いたいかというと、どんなケースでも

その時が来たならやらなければならない、ということ。

体裁だの恰好だの気にしては居られない。

いろんな事情、状況、場合、があります。

いろんな人がいます、過度に心配せずにご相談してください!

と、言いたいです。

 

 

岩手県内の火葬料金(一部)

故人様が成人の場合・( )内は市外からの場合の料金

盛岡市   10,000(50,000)

花巻市   5,000(20,000)

北上市   5,000(20,000)

奥州市   10,000(40,000)

金ヶ崎町    ↑ 同じ

一関市   15,000(30,000)

平泉町     ↑ 同じ

陸前高田市 10,000

大船渡市  10,000(15,000)

釜石市   20,000(50,000)

遠野市   20,000(40,000)

山田町   5,000(15,000)

宮古市   10,000(40,000)

宮古市川井 6,000(7,000)

久慈市   10,000(50,000)

二戸市   10,000(50,000)

 

これから

今年に入ってから、千葉県船橋から都心まで電車に乗って移動する機会がありました。

その時、感じたこと。

昔より庶民が貧しくなったなあ、と。

貧しい、といえば言葉は悪いけれど。

私が東京に住んでた学生時代、三十年近く前のことですが、その頃と比べて服装がかなり貧相になっているな、と感じました。

昔はブランド物が流行ったりで、そうでなくとも、みんな服も持ち物も、しっかりした良いものを持っていた。

でも今はファストファッションの時代。安くてカッコ良くて、大量生産のそこそこいいものを使い捨てに近い状態で利用する時代。

それは若者も、中年も、高齢者も多かれ少なかれみんな同じ。

間違いなくそうなった。

服装に象徴されたその現実は、生活そのものをそのまま表している。

過去から追ってきて傾斜の角度をもって変化してきたその軌跡はそのまま今後の未来の生活にも及んでいくだろう。

 

昔、何かのテレビで小さな町工場を映していた。

すごく小さな小さなネジを作っていた。

顕微鏡でやっと見えるような、小さなネジ。

で、レポーターが町工場の社長に尋ねてた。

「そんな小さなもの注文あるんですか?何のために作ってるんですか?」

そしたら社長

「注文なんてないよ、でも注文が来てから研究し作り始めては遅いんだよ・・」と。

私は、なにかハッとした気がした。今でも何度も思い出すそのシーン。

 

私たちの生活はどんどん切り詰めたものになっていくだろう。

小さく安く、か・・。

儀式もそうなりはじめている。

そのサイズが主流になっても、しっかりお役に立てるしくみを作っておく。

小さくても大切なその時間のために。そんな時代がやって来る。

間に合うように。

先に行って待っていよう。

 

 

 

遠隔地からのご遺体搬送

さこうセレモニーでは、遠隔地からのご遺体搬送も自社搬送車にて行っています。

釜石市外の病院や施設からでも、お電話頂ければお迎えに上がります。

0193-55-6057 二十四時間対応致します!

遠慮なくお申しつけ下さい。

過去のお迎え実績 ↓

●岩手医大~  ●日赤病院~  ●厚仁病院~  ●県立磐井病院~  ●県立山田病院~  ●県立宮古病院~  ●気仙沼市立病院~  ●岩泉警察署~

その他市内各病院・施設は常時対応

上記の他でも参ります。

 

 

ありがたい、と思う時

ある時、サラリーマンを辞めて、一人で漕ぎ出した。

それは正解だったと思います。

理由はひとつ。仕事をさせて頂けることへの感謝が、今のほうが格段に大きいからです。

数ある葬儀社の中から、指名、選択されることのありがたさ。

一度ご利用になった方が、紹介して下さったり…。

選ばれたことに感謝するから、自分の仕事で、精いっぱいお返ししようと思うのです。

そう思って働いていると、こんどはこちらが「ありがとう」と言われます。

その心が施す良い循環が平和な人間の社会。

遅ればせながら、人生の途中で、このことに気づいて良かった。

 

お客様に、言ってしまう事

事前のご相談とか、そうでなくてもお客様との立ち話の中でもそうなのですが、やはり私の仕事柄、私の顔を見ると、お葬式の話になってしまうことが多いです。

皆さんおっしゃるのは…

「同年代の友達と集まると、お葬式とかお墓とかの話が多いのよー」

だそうです。

日常の会話で、私にも関わる話題になるのは、仕事的にはありがたいことですし、そういう関心や心配があるからこそ、事前のご相談に来て頂けたりするわけで、お役に立ちたいな、とその都度思います。

ただ、同時に、矛盾してるようで恐縮ですが、考えてしまう事は、それぞれの人生の後半、仕上げの大切な時間、葬儀の事やお墓の事ばかりの思案じゃもったいないなあ… と、いうことです。

暮らしの中の、興味、関心はもっと楽しい事、わくわくする事のほうが楽しいんじゃないかなあ、と。

で、行き着く結論がこうです。

「お客様が必要以上に最後のことばかり、考えなくてもいいように、私ががんばりゃいいんだ」と。

なので、事前のご相談の後には、こう言っています。

「今日、いろいろご相談頂きましたので、もう大丈夫です。あとは、お葬式の事なんて忘れていいですよ。私が考えますから」

「明日からは、楽しいことを考えてお過ごしください!」

と言っています。

すると皆さん、「ほんとだねぇ」 と言って、ニッコリされます。

葬儀のお仕事

世の中にはいろいろな仕事がありますが、葬儀の仕事は特殊なところがあります。

それは次のようなところです。

サービスを提供する相手「お客様」がもうすでにお亡くなりになっている、というところです。

亡くなってからが、故人様という人物と、葬儀社である私との出会い。

亡くなってから、お知り合いになる。

お元気な時にお話ししてみたかった、と思うことも何度もあった。

実際にお話しは出来ない分、心の中で呟きながら思案する。

こんな感じでどうですか?

こんなお花でいかがですか?

遺影写真こうしました・・・・、などなど。

その問いかけのお返事は、ご遺族から頂くことになるのです。

「やあぁ~おばあちゃんのイメージだあ」とか「普段の父さん、こうだったあ」とか。

そんな言葉を聞けた時、交信ができたかも。

と僭越ながら感じています。

 

葬送行進曲♬その2

 

葬送行進曲として、たびたびセレモニーで使われるのがこの曲。

ベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」の二楽章です。

重い。

有名人のお別れの会などの献花の時間の音楽などで使われたりしています。

岸のあちら側、こちら側

仏教的には三月の春分の日の前後、彼岸と言っています。

一年のうちでもっともあの世とこの世が近くなる時季とも言われています。

でも川の岸を挟んで、あちらとこちら。

容易に行き来はできない。

同じ空間にあるようで、でもこちらは人間界という修行の場。

誰しも、泣いても笑っても簡単には抜けられない。

みんなに平等な「一生」という機会と時間を与えられたとすれば

これほど幸運なことはない。そこまではみんな同じ。

ただその「一生」を、砕けないように、小さなキズさえも付かないように

箱に入れて取り扱い注意にしてしまうのか。

それとも、おもいきりブンブン振り回してフル稼働させて、「一生」という機会を最大限使い倒すのかどうかは、自分次第。

動けば動くほど、初めていろんなことに気づく。

次から次へと違う景色をたくさん見たい、と思うのです。